MENU

紙の本と電子書籍はどちらがいい?読み方による使い分けを考える

紙の本と電子書籍端末を並べた読書机のイラスト

紙の本を買うか、電子書籍を買うか。同じ内容なら便利なほうでよいはずなのに、本棚の空きや持ち運ぶ重さまで考え始めると、読む前の用事が増えてくる。

どちらが優れているかを先に決める必要はない。通勤で読む一冊と、机で何度も開く一冊では、求めるものが違う。ただ私は、道具を選ぶ説明だけ上手になって、本の中身を説明できない人間が増えることのほうが気になる。

目次

紙の本と電子書籍は何が違うのか

紙の本は端末や充電を使わずに開け、ページを並べて見たり余白へ直接書いたりできる。一方、電子書籍は対応する端末に複数冊を入れて持ち運べる。文字サイズの変更、検索、ハイライトなどは本の形式やアプリによって異なるため、欲しい機能が使えるか試し読みや商品説明で確認したい。

巨人には、森昌彦という正捕手がいた。あとに森祇晶となる男である。それでも捕手を取るのをやめなかった。野口元三、大橋勲、槌田誠と、実績を持った若い捕手が入ってきた。正捕手がいるから、その位置の勉強はもう終わりという球団ではなかった。

森がどれほど気を張ったか。捕手の名前が増えた分だけ、試合に出られる人数も増えたわけではない。最後は一つの場所へ誰が座るかだった。本を何冊入れられるかという説明を聞くと、私は、入れたあとの一冊を誰が読むのかまで聞きたくなる。

ただ、巨人でやっていた競争を、よその球団へそのまま持っていけば済むものでもなかった。欠点があるたびに選手を下へ落としていたら、選手が足りなくなる。私はヤクルトでも西武でも監督をしたが、巨人で覚えた言葉を、そのまま順番に読み上げる仕事ではなかった。

いまなら昔の選手の名前も成績も、画面ですぐに出る。それで巨人の野球がわかったという顔をされると困る。森の横へ別の捕手が来るということを、選手名鑑の一行が増えた程度に読んでいる。調べた本人は詳しくなったつもりでも、ベンチの空気までは入っていない。

若い者が知らなくて調べるのはよい。最初から知っているはずがない。問題は、教える側まで同じ画面を見て、同じところで初めてうなずいていることである。巨人の看板を説明する者が、検索結果の表示を待たせてどうするのか。

広告

読み方によってどう使い分けるとよいか

移動中に何冊か読みたいなら、持ち運ぶ量を減らせる電子書籍が候補になる。複数のページを行き来したい、図表を大きく見たい、手書きで書き込みたいなら、紙の本や大きな画面での読みやすさを比較する。電子版でも図表中心の固定レイアウトでは文字サイズを自由に変えられない場合がある。同じ端末で試し読みし、実際の見え方を確かめると選びやすい。

通勤の鞄を軽くすることに、私は異論はない。仕事へ行く前に、本の重さで疲れる必要はない。若い者が電車で本を開くなら、持ち出しやすいものを選べばよいと思っている。

私が巨人で現役をしていたころは、相手がこちらのユニフォームを見ただけで、もう気持ちで退いているように見えた。私はそれを、巨人が積み重ねた教育の力だと思っていた。着ている布だけが特別だったのではない。

それを、同じ柄を着れば同じ巨人になると考えるから話がおかしくなる。紙の本を画面に移しても、読んでいない者は読んでいない。同じように、巨人のユニフォームへ袖を通しただけでは、その中身を教わったことにはならないのである。

私は、巨人の歴史を読むなら、勝った試合の結論だけ先へ送って済ませてもらいたくない。なぜそこまで勝つことを求めたのかという、読み飛ばしやすいところに用事がある。便利な画面ほど、そういう面倒な説明を指一本で越えられる。若い読者には便利でも、巨人を教える者には都合がよすぎる。

読み放題などで選べる本が増え、かえって使い切ることが負担になる感覚は、サブスク疲れと契約の見直し方でも考えている。読む形式と、利用を続ける契約は分けて選べる。

職場で紙と画面の両方が残る問題は、個人の読みやすさだけでは決まらない。承認や保管の流れについては、ペーパーレス化が進まない理由と二重管理で考えている。

検索や線引きができれば読み返しやすいのか

対応する電子書籍では、語句検索やハイライト・メモが、目的の箇所へ戻る手がかりになる。紙なら付箋やページ番号のメモを使える。いずれも印をつけるだけで終えず、必要な箇所を前後の文脈と一緒に読み返す使い方ができる。検索や書き込みに対応しない形式もあるため、機能を一律には考えない。

森の名前を検索すれば、正捕手だったとすぐにわかる。しかし、その一行だけを若い捕手へ見せて、昔は厳しかったと言うのでは教えたことにならない。自分がその位置を失うかもしれないというところまで、説明する者の中に残っていなければいけない。

昔の巨人方式を、どこの職場にも持ち込めと言っているのではない。よその球団なら、よその選手を育てる苦労がある。それでも巨人の中で昔の話を聞くのが面倒だと言う者には、私は、なぜその看板の下に来たのかと思う。よそへそのまま押しつけるのは違うが、巨人の内側まで読みやすく薄める必要はない。

要約や記録が残ることと、必要な判断ができることを分ける点は、何も決まらない会議をどう見直すかという話にもつながる。読める場所ができたことを、もう伝わったことにしてしまう上司は、本でも会議でも忙しそうにしている。

会社の上司でも、仕事の手順だけ検索できれば、前任者がなぜその順番にしたかは読まなくてよいと思っている者がいる。新しい道具を使うことと、古い説明を省く資格ができることは別である。巨人の歴史を要約してから教えようという人間も、私は、その省いたところから先に聞く。

細かな数字を確かめるのは当然だ。ただ、巨人が何勝したかを一つも間違えずに言えても、巨人を教えてよいとは限らない。成績の読み上げなら誰でもできる。昔の説明を長いと感じなくなるまで聞いた者が、その先を受け持つのである。

広告

まとめ

紙の本と電子書籍は、持ち運び、ページの見比べ、書き込み、検索など、自分の読み方から選べる。一方をすべて置き換える必要はない。電子版の機能や図表の見え方は本・端末・アプリで違うため、購入前に試し読みや対応条件を確認する。読み返す一冊と移動中の一冊で形式を分ける方法もある。

本を軽くすることに反対はない。私が気に入らないのは、中に書いてある先輩の話まで軽く扱うことである。巨人の伝統は、読み終わった箇所から順に古くなっていく説明書ではない。

若い者には、新しい画面で昔の巨人を読んでもらえばよい。しかし、教える側が、若い者に合わせて昔の話を短くしましたと言うなら、私はその説明を認めない。教わった話を短くするより、聞けるところまで若い者を育てるのが先である。

端末は新しくなってもよい。だが巨人の話をする席では、先輩から聞いた順番まで入れ替わらない。検索すればすぐに出るという者は、出した画面を閉じて、こちらの話が終わるまで座っていればよい。私は、その時間を読書の遅れには数えない。

この記事を書いた人

目次