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無駄な会議が減らないのはなぜ?何も決まらない会議の見分け方

何も決まらない会議を表す円卓と空いた椅子のイラスト

会議が終わると、次の会議の日だけ決まっている。資料は増えたが、誰が何を進めるのかは、始まる前とあまり変わらない。

長い会議がすべて無駄なのではない。短く終わっても、決めるべき人が何も決めなければ、集まった者の仕事は止まったままである。何のために集まり、誰の判断を待っているのか。その違いを考えたい。

目次

無駄な会議と必要な会議は何が違うのか

目安は、その場で話し合う必要がある問いと、終わったときに得たい結果があるかどうか。情報を読むだけなら文書での共有も候補になる。相談や決定が必要なら、論点と判断する人を先に明らかにすると、会議の必要性を確かめやすい。

西武の監督をしていたころ、選手には必勝法と必敗法を覚えさせた。私が作ったものではなく、もともと広島にあったものだ。それぞれ七十か条あり、ときどき選手の名前を呼んで答えさせた。

ただし、田淵幸一には、どこを聞くかと、どう答えるかを先に伝えておいた。ベテランを皆の前で困らせればよいというものではない。教える内容が同じでも、皆の前でどう扱うかは同じにしなかった。

今の会社には、誰にでも自由に発言してもらうことを、会議の成果だと思っているところがある。課長にも新入社員にも同じように意見を求め、最後に課長が、いったん持ち帰ると言う。課長がその場で引き受けるものを、先に用意していないのである。

私は、課長に何を答えてもらうかを、課長より先に決めておく必要があると思う。本人が皆の前で初めて聞くから、結論も初めて考えることになる。若い者の準備不足を叱る前に、課長の答えを準備しておけばよい。

それでは結論が決まっているではないかと言う人もいる。課長が答えられず、もう一度全員を集めるよりはよい。皆が帰ったあとで課長の面目を取り繕うくらいなら、集まる前に済ませておくほうが順序である。

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会議が多すぎる・長すぎるときに見直すこと

主催者が議題・必要な参加者・各議題の時間・終了条件を事前に共有し、報告だけの項目は文書で済ませられるかを検討する。決定に必要な人や情報がそろわない場合は、全員を待たせるより、足りないものを明らかにして日程や参加範囲を見直す方法がある。

田淵に答えを伝えるために、全員をもう一度集める必要はなかった。先に伝えておけば済むことを、皆がそろうまで待っていてはいけない。

ところが会社の会議では、部長が話し始めると、仕事を持っている若い者まで同じように座っている。部長が説明を終えるのを待ち、課長が言い直すのを待ち、最後に自分へ届く作業を待つ。席にいることと、話を聞かせる必要があることを一緒にしている。

部長が十分に説明したいなら、課長が残って聞けばよい。若い者を帰したあとで、部長と課長が納得するまで続ける。課長の仕事は増えるかもしれないが、部長の説明を引き受けるところまで含めて課長なのである。

私は、長い話をしたというだけで、部長の説明を途中で切ってよいとは思わない。長く勤めた者には、結論に至るまでの経緯がある。若い者にそのすべてを聞かせる必要はなくても、同じ管理職が聞かない理由にはならない。

会議を三十分にするという数字だけ決めるから、部長は話し足りず、課長は決め足りなくなる。若い者が帰る時間と、部長が話し終える時間は別でよい。全員の会議を短くするために、部長の話まで短く扱うのは、何を減らすのかを間違えている。

会議の後も仕事の目的や判断の範囲が曖昧な場合は、上司の丸投げと「任せる」の違いも関わってくる。

勤務後に集まる負担については、会社の飲み会に行きたくないときの付き合い方でも考えている。

議事録やAIを使えば会議の無駄は減るのか

議事録では、決まったこと・担当者・期限と、未決事項・次に判断する人を分けて残すことが大切。AIによる文字起こしや要約は記録作業の補助にはなるが、決定の代わりにはならない。利用する場合は社内ルールに従い、人が決定内容を確認する。

記録を短くまとめる道具があることは、私は悪いと思わない。発言を一つずつ書き写すために、若い者の仕事が夜まで延びる必要はない。

ただし、田淵に先に答えを伝えたことを、答えを知らなかったので教えた、とだけまとめられたら違う。皆の前で恥をかかせないという扱いまで含めて、私の指導だった。答えの文字だけ残れば済む話ではない。

部長の長い説明も、結論だけにすれば一行になることがある。しかし、その一行に至るまで部長が何を気にしたかを、課長が聞いていたかどうかは別である。要約が出来たから理解も出来たというのは、課長に都合がよすぎる。

若い者に渡す記録は短くてよい。課長が読む記録まで、同じ長さでよいとは思わない。部長の話のどこを省いたか説明できないなら、課長は省く前の話をもう一度聞く。それで記録を確認する時間が増えても、課長が理解するための時間まで無駄に数える必要はない。

機械がまとめたので、という説明も感心しない。私が田淵の扱いを変えたのは、全員を同じ形で試すためではなかった。部長の説明と新人の報告を同じ分量に整えて、それで公平な記録になったつもりでは、誰の話を残したのかわからなくなる。

探せることと理解したことの違いは、紙の本と電子書籍の使い分けでも考えている。便利な道具を持つことと、人へ説明できることは、同じではない。

まとめ

無駄な会議を見直す出発点は、集まる目的、決めること、必要な参加者を区別すること。記録には決定事項・担当者・期限を残し、共有だけで済む項目は別の方法も検討する。会議の長さだけでなく、終わったあとに仕事を進められるかが判断の目安になる。

田淵には先に答えを伝えた。だからといって、ほかの選手まで同じように答えを渡したわけではない。ベテランの面目を保つことと、若い選手へ覚えさせることは、同じ場で両方やることだった。

会議でも、部長が何を話すかを課長が先に聞いていれば、若い者をいつ帰してよいかはわかる。部長がまだ話したいなら、課長が残ればよい。全員が残る必要はないが、全員が帰ってよいということにもならない。

課長はもう理解したと言うかもしれない。それでも部長が説明を続けているなら、部長には、まだ説明しておくことがあるのである。聞く側だけで終わりを決められるなら、初めから部長の説明など要らないことになってしまう。

短い会議がよいという会社でも、部長を先に切り上げさせる理由にはならない。若い者の三十分は仕事へ返し、部長の一時間は課長が受け持つ。それが出来る者から、会議を減らす役を任せればよい。

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