「資料を添付します」と書いたメールに、資料がない。次は忘れまいと急いで送ると、今度は一つ古い版である。二通とも文章は丁寧で、用は足りていない。
私は添付という機能を難しいとは思わない。難しくしているのは、選んだことと、相手へ渡せたことを同じにしてしまう癖だ。
メールにファイルを添付する基本手順
メール作成画面の添付ボタンからファイルを選び、追加が終わったことを確認してから送信する。
パソコン版Gmailなら「作成」→下部のクリップ形の添付アイコン→ファイルを選択→「開く」の順。添付欄に目的の名前があるか確認し、アップロード中に送らない。別のメールアプリではボタン名や位置が異なる。仕事では指定された送信手段を優先する。
ボタンを押した瞬間に、用件も片づいた気分になる。その気分が早い。球を投げた投手と、捕球した野手の間には、まだ一つ仕事が残っている。
私はパソコンが働いている間まで、こちらが働いているふりをする必要はないと思う。待つべきところで待つ。それも手順の一部である。
送る前に、宛先とファイルの中身を合わせる
ファイル名だけで判断せず、相手・版・内容を送信前に照合する。
確認するのは、宛先とCC、添付名、更新内容、枚数やシート、不要な個人情報の有無。本文には「打合せ資料1点、PDFを添付します」のように、何をいくつ送るか書く。同名の旧版が複数あるなら、送付用フォルダーへ必要なものだけを揃えて選ぶ。
松井秀喜は、長嶋茂雄から素振りの音がどこで鳴っているかまで、一振りずつ確かめられたと語っている。初めは自分には分からなかった。それが、同じ音を自分でも求められるところまで変わった。バットを振り終えた回数と、受け取った指導の回数を、同じ数字では済ませなかったのである。
私は、添付したから一件終了という部長にも、相手へ何が渡ったかを尋ねたい。ただ、昔の指導の資料まで、重いから一枚削るという担当者の判断へ預けるつもりはない。容量は量れても、削った一枚の格は別に量る必要がある。
確認を二人にすれば安心だという前に、一人目が何を見るのか決めたらよい。二人でファイル名を眺めても、中身の古さは直らない。
容量を超えたら、添付とリンク共有を区別する
添付できる上限はサービスとアカウントによって異なり、共有リンクに変わったら閲覧権限も確認する。
個人用Gmailの添付上限は合計25MB。仕事・学校用では管理者の設定を確認する。上限を超えてGoogleドライブのリンクになった場合は、相手が開ける権限か、社外共有が許されるかを確かめる。送れないからといって、誰でも見られる公開設定へ変えない。
大きい荷物を別の入口へ回したなら、その入口の鍵も渡す必要がある。ただし、鍵を建物の外へ放り投げればよいわけではない。
便利な共有という言葉の陰で、誰に共有したのかが消える。私は、相手が開けずに困るのも、関係ない人まで開けるのも、どちらも段取りの失敗だと思う。
添付漏れや誤送信に気づいたら
何が誤っていたかを短く伝え、正しい資料を送り直し、情報漏えいの恐れがあれば組織の手順に従う。
添付忘れなら「先ほどのメールで添付が漏れておりました。資料を再送します」と説明し、再送前に現物を確認する。宛先違いや機密資料の送付は、訂正メールだけで済ませず管理者へ連絡する。送信取消が使える時間や条件を過ぎたら、削除できたと決めつけない。
丁寧な謝罪を三段落書いて、もう一度添付を忘れる人がいる。反省が本文を占領して、肝心の資料の席がなくなっている。
昔の巨人を知る者へ渡す資料には、目次から消してよい名前と、消しては困る名前がある。そこを知らない部長の省略を、私は気配りとは呼ばない。受け取った側の時間を短くする前に、何を教えてきたかを聞く順序である。
まとめ
添付はファイルを選んで終わりではなく、宛先・版・追加完了・共有権限を確かめて渡す。
松井は、長嶋に一振りずつ音を確かめられ、やがて自分でも同じ音を求められた。私は、指導が届いたかを、送った回数だけでは見ない。ファイルが出ていったという報告にも、その先がある。
添付は、正しい相手へ開ける形で渡し、容量や共有条件を確かめればよい。その上で、古参の資料を軽くするために中身から削るなら、削った理由をその古参へ説明する仕事が残る。
読める枚数へまとめたという部長には、誰が何を読むためかを聞きたい。若手の連絡を短くした分、部長が昔の説明を長く受けることになっても、それを容量超過とは数えない。
私は、送信欄へ完了が出た時刻に、教えてきた側の仕事まで閉じない。添付の最後の一枚を選ぶ権限は、その名を知っているだけの新任者へ自動で付いてこないのである。











