使っていないのだから捨てればよい。片付けの話になると、ずいぶん簡単に結論を出す人がいる。その人の家には、使っていない物が一つもないのだろうか。立派な箱に入った説明書だけが、家電より長く居座っていることもある。
私は、古いというだけで物を捨てることには賛成しない。ただ、何でも思い出だと言い始めれば、引き出しの中身が全部功労者になる。何を残すのかと、なぜ動かせないのかは、分けて考えたほうがよい。
断捨離で捨てられないときは何から始めるか
思い出の品を最初から処分しようとせず、使っている物、残したい物、判断を保留する物に分けるところから始められる。まずは自分の持ち物の中で、明らかに不要と判断できる物から扱う。捨てた数を目標にする必要はない。
判断に困る品から始めれば、片付けではなく回想になる。それを無駄だとは思わないが、夕方になって、押し入れから出した物を全部戻すのであれば、物のほうが一日よく働いている。
私が巨人での現役生活を終えたとき、長嶋茂雄がハチミツを持ってあいさつに来た。私の好物だと思っていたらしいが、こちらには、そう話した覚えがなかった。それでも、あいさつに来た後輩の気持ちはありがたかった。
贈り物には、品物の選び方と、贈る人の振る舞いという別々の話がある。そこを一緒にすれば、ハチミツが好きかどうかを答えるだけで、長嶋への評価まで決まってしまう。そんな雑な採点はできない。
古い物を全部残す必要も、全部処分する必要もない。しかし、巨人にいたころの物だと言われれば、私なら先に話を聞く。何年使っていないかという質問は、そのあとで間に合う。
思い出の品を残す基準はどう決めるか
見返したい、飾りたい、使いたいなど、いまの自分にとって残す理由があるかを考えられる。収納場所を決め、同じ思い出の品が多ければ代表を選ぶ方法もある。写真に残してから手放すのは選択肢の一つで、現物を残したい物まで写真に置き換える必要はない。
何も置かれていない棚を見て、それだけで片付けの成功だとは思わない。大切な物を奥へ押し込み、見せられる物だけを並べたのであれば、展示の都合がよくなっただけだ。誰のための部屋なのかが、少々わかりにくい。
一九八八年、日米ベースボール・サミットを開くときにも、長嶋は協力してくれた。人が集まり、場が明るくなる。そういう働きは、細かな数字に分ける前に、見てわかるものだった。
だからといって、もし私が巨人の監督になっていたら、長嶋をヘッドコーチにしたかというと、それは別である。人を引きつける力を認めることと、野球を細かく説明する役目を任せることは、同じ判断ではない。
家の中でも、よい思い出だから毎日使う場所に置く、とは限らない。記念品には記念品の席がある。ただし、その席を一番よく見えるところに取ったからといって、古い物をえこひいきしたことにはならない。役割にふさわしい場所を、経験のある者が判断したのである。
贈り物や家族の物も同じように処分してよいか
贈り物を受け取った感謝と、その後も使い続けるかどうかは分けて考えられる。一方、家族の所有物や共有の物は、自分の基準だけで処分せず、持ち主や使う人と確認する。迷う自分の物は、置き場所と見直す時期を決めて保留する方法もある。
本人がいない間に片付けておいた、という話を聞く。片付いた側は親切のつもりでも、持ち主にすれば、自分がいないところで自分の物の引退が決まっている。これは収納の技術より、決める順番の問題である。
若い者が使わないからといって、先輩の道具まで同じ袋に入れるのは感心しない。先輩が説明しているあいだに片付けが止まるのなら、その時間も整理のうちでよい。説明を省いて空いた棚より、説明を聞いた者が一人増えるほうを、私は評価する。
長嶋がハチミツを選んだ理由を、好みの調査が足りなかった、の一言で片付ける人には、古い品の扱いも任せにくい。物の用途だけは合っていても、人の扱いが合っていないことがある。
ただし、本を読まずにためている悩みなら、思い出の保管とは別に、積読を解消するための読み方を考える話になる。使っていないサービスを残しているなら、サブスクの契約を見直す話である。何でも同じ整理箱へ入れれば、今度は悩みの仕分けが必要になる。
まとめ
断捨離で捨てられないときは、思い出の品をいったん分け、いま使う物・残したい物・保留する物を整理するところから始められる。捨てる数ではなく、大切な物を無理なく置ける状態を目安にする。家族の持ち物は、本人の確認なしに処分しない。
私は、何も残っていない部屋を見せられるより、残した物の話を聞きたい。巨人の古い品なら、なおさらである。持ち主の説明が不十分なら、こちらから当時の話を補うことになる。
それで予定の時間に片付けが終わらなかったとしても、物が多いせいではない。捨てるかどうかを判断する前に、まだ聞いていない先輩の話があったのである。




