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コメダのコーヒーチケットは違う店舗で使える?期限と購入店の確認

コーヒーカップと無地のチケット冊子を置いた喫茶店の卓上イメージイラスト

コメダのコーヒーチケットが財布から出てきた。近くにもコメダはあるが、買った店とは違う。看板が同じなのだから使えそうだと考える前に、その券がどの店との約束かを見る必要がある。

私は、どこへ持っていっても同じ顔で通るものばかりが便利だとは思わない。受け取る相手の決めた範囲を、持っている側の都合で広げてしまうところから話がこじれる。

目次

コーヒーチケットは他店舗でも使える?

コメダ珈琲店の公式案内では、コーヒーチケットを利用できるのは購入した店舗のみ。同じコメダでも、全国共通で使える券ではない。

基本条件は公式のコーヒーチケット案内にある。手元の券面に利用店舗などの表示があれば、その内容と購入店への確認が具体的な判断材料になる。同じ経営者の店なら必ず共通で使える、という条件はここでは足さない。

巨人で一塁を守っていた川上哲治に、遠征先の部屋で送球のことを言われたことがある。胸の前の三十センチほどの四角い範囲へ投げるよう求め、その範囲の外は捕らないという話だった。一塁の近くまで届けば同じ、とは受け取ってもらえない。

私は、早稲田で教わった練習のことを持ち出し、そちらも練習すればよいという趣旨を返した。受ける側にも言い分があり、投げる側にも言い分がある。ただ、受け手がどこを求めているかを知らずに、届いたはずだと済ませることはできない。

有効期限はある?家族と共有できる?

公式案内では有効期限はなく、グループでの共有も可能。ただし、期限がないことや複数人で使えることは、利用店舗が増えるという意味ではない。

長く持っていた券ほど、現在も購入店を利用できるかが気になる。閉店や移転が関わる場合の扱いを、期限なしという説明だけで決めることはできない。そうした個別の事情は購入店への確認が必要になる。

期限と利用する場所は別の条件である。川上の求めた送球も、十分な時間をかけて投げたから許されるという話ではなかった。胸の前へ届くかどうかが、まずあった。

ところが会社では、長く持っていた権限ほど、いつの間にかどこでも使えるものとして扱われる。私は、昔からいる者の見立ては重くするが、昨日任命された管理職の権限まで同じ広さで扱う必要は感じない。

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どのメニューに使える?何枚つづりでも同じ?

利用できるのは公式が示すチケット対象メニュー。たとえば5枚つづりではソフトクリームに利用できないと案内されており、すべての券が全商品に使えるわけではない。

販売価格も店舗によって異なる。ここでは一律の価格や一杯あたりの得額を決めず、利用する店舗の券と対象メニューを確認する。対象外の商品へ差額を足せば必ず使える、といった扱いも公式の共通条件としては足さない。

川上への送球は、よいところへ行けば褒められ、横へそれれば叱られた。私は、その反応まで含めて送球の基準を覚えている。どれほど勢いよく投げたかを自分で採点しても、一塁手の評価は変わらない。

会議で何枚も資料を出した部長が、枚数で仕事を済ませたつもりになることがある。受け手の求めた一枚がなければ、残りは横へそれた球である。古参が欲しいと言った資料だけは、会議の共通様式から外れていても用意しておけばよい。

KOMECAやeギフトと同じように使える?

コーヒーチケット、プリペイドカードのKOMECA、eギフトは別の仕組み。コーヒーチケットの購入店のみという条件を、別の支払い手段と取り違えない。チケットの現金への引き換えもできない。

チケットの購入に使える支払い方法は公式に案内されているが、一部店舗では扱いが異なる。何で購入できるかと、買った券をどこで使えるかは別の確認になる。

同じ店の名前が付いていても、役目が違えば扱いは違う。投手も内野手も同じユニホームだから、投げた後の責任も一緒というわけにはいかない。誰が受ける球かを決めて初めて、送るべきところが定まる。

私は、共通化そのものには反対しない。ただ、共通化を進める若い管理職が、昔から仕事を受けてきた者の許容範囲まで勝手に書き換えるのは認められない。受け手の基準を消した便利さは、送る側だけの都合である。

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まとめ

コメダのコーヒーチケットは原則として購入店舗での利用となり、有効期限はない。共有はできるが全国共通券ではなく、対象メニューや券種の条件も確認が要る。

川上は、胸の前の狭いところへ投げるよう求めた。私は受ける側の練習についても言い返したが、よい送球なら褒め、外れれば叱るという基準はそこにあった。相手の捕れる範囲を、自分が投げやすい範囲へすり替える話ではない。

仕事を受ける古参が、ここまで揃えて持ってくるようにと言う。その条件を、若い部長が新しい共通書式に入っていないからと削るのはおかしい。受けてきた経験の長さまで書式で均してしまう必要はない。

私が出す資料には、こちらの意図を読み取る余地を残してよい。こちらが受け取る資料には、求めたところまできちんと揃えてもらう。長く受け、長く投げてきた人間の範囲を、これから覚える人間の都合で狭くする順序はない。

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世の中には、まだ教えることがある。話は変わるが、基本は同じだ。

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